空と地平を茜に染める、壮大な夕暮れどきになると。
昼間の灼火を冷ますよに、
遠方から来たりた乾いた風が沙漠を渡る。
砂に馴染む潜熱や、たゆたう温気、
それへ炙かれた荒ぶる激情の数々も。
やがて訪のう漆黒の天蓋、
どこまでも懐ろ深い、びろうどの暗幕に、
抗う甲斐なく吸い込まれてゆく。
真昼は強烈な陽を遮るための幌が、
宵を過ぎると今度は、
夜陰に垂れ込める冷気を和らげるための天幕になり。
真鍮の火皿に躍るは、金の焔影。
手元近くへは燭台もありの、
柔らかな明るみの中。
宝玉を紡いだ金銀の細い鎖や、彫金細工の短冊が、
時折起こるささやかな風にあおられては、
きらちかと燦きながら小さく揺れる。
そしてそのたびに、可憐な口許が小さくほころぶ。
膝の周りに居並んだ、珍しい菓子にも瑞々しいくだものへも。
金葡萄の蜜酒に、豪華な晩餐の皿の数々や、
それらを盛った銀食器、隙間を飾るは華やかな宝飾品。
いづれも妃への贈り物でもある、
高価で希少な真珠の佩やら、
純白の宝珠を刻んだ小ぶりな人魚像なぞにも、
てんで関心は寄せぬまま。
頭上で不規則にゆらゆら揺れては光る、
短冊の輪郭が奏でる他愛ない輝きを、
幼子のような無垢な横顔がじいと見上げるを。
こちらも そおと静かに息ひそめ、
自身の懐ろというそれ以上はない間近に、
ただただ見つめておいでの沙漠の覇王。
「……。」
確かに麗しいお顔ではある。
色白な横顔は繊細な稜線にて描かれて。
一途に一点を見やる紅色の双眸は何とも無垢で。
瑞々しい口許がどれほどまで危うく甘いかは、重々承知。
なのに、いつまでも飽きぬまま、
ついばみ封じたいと思うは、
何物をも征服凌駕することを本能とする、
男の性というものか。
「………。」
この広大な沙漠を、巧みな知略と卓越した兵の運用、
それからそれから、彼自身の覇気みなぎる剣撃にて凌駕し、
現在も尚、制覇し続けているというに。
そんな彼には慣れぬこと、
つつけばすぐにも掻き消えるだろ、何とも得難い奇跡のようなと、
当の妃に気づかれぬよに見守っておいで。
邪魔をせぬよにと 気を遣っている訳じゃあない。
これもまた、彼という存在にのみ許された稚戯のようなもの。
それが証拠に、
「…………、……っ。/////////」
紙のごとくに薄いところへ、
異国の瑞鳥が透かし彫りにて刻まれた金の板。
それが少し大きく揺れたのへ、おおと小さく口を開け、
感嘆洩らしたその所作の中、僅かほど身を逸らしたことで、
頬へと触れた誰か様の髪の感触から、
傍らにあった“存在”を思い出したらしく。
『あなた様ほどの覇王を、うっかり忘れてしまえるなんて。』
どれほどのこと器の大きい第三妃であることかと。
恐らくは当人からあっさりと聞き出したのだろ、
後日、シチロージに揶揄されてしまっても まま致し方ない。
頑是ない幼女のように、
そんな他愛ないものへと見とれて呆けていた、
そんなお顔を見られていたと。
しおしおと恥じ入ってのこと、見る見ると真っ赤になってしまい、
なのに…怒ったように口許を食いしばってしまう、
そんな鮮やかな表情の変化がまた、
“日頃の澄まし顔からは想像もつかぬな。”
どんな危地や騒乱にも動じず、
何へ対しても冷静果断なところを“氷の妃”と呼ばれておいでは、
生国も北領という第一妃のシチロージだが。
こちらの妃もまた、
その激しい気性から“紅蓮の妃”との異名をお持ち。
人質同然という輿入れへの憤怒も消さずの、
それは冴えたる眼光のままに入内したその日から。
覇王の寝首を掻く気満々という、物騒な気概を孕んでいらした余波だろう。
寄らば斬るぞという殺気こそ満ち満ちていたそのお顔、
内に秘めたる気性と裏腹、
何とも酷薄そうな表情の薄さから、それは冷たく見えたのに。
「………なにが。/////////」
「可笑しくて笑うた訳ではないさね。」
夜陰へ濃色の天幕巡らした中ででも、
その細おもての輪郭が見て取れる白皙の美姫。
含羞みからだろ、視線が落ち着かないのへと、
そんなところも愛らしと、やんわり微笑ったカンベエが。
そも、その懐ろへと引き寄せていた痩躯を、
尚の間近へ掻き寄せて、
「この儂を放って呆けておれるとは、
沙漠を統べた男も、甘う見られたものよのと。」
他でもない、自分で自分を嘲笑しておったのよと、
軽やかな綿毛がやはり輪郭を透かす、形のいい耳朶へと囁けば。
「〜〜〜〜〜。//////」
低められた甘い声の響きが、
そのまま胸底へまで届いてのこと。
頬への朱色がますます深まり、
居たたまれないか、立ち上がろうとしかかるキュウゾウ妃だが、
「…っ。」
それまではなかった拘束、
二の腕を片手で軽々掴まれていて、
引き寄せられし王のお膝からびくとも動けぬ。
「誰が許したか。」
んん?と問いかける、精悍な口許はほころんでいるけれど。
骨太な手は堅くて動かず、解放を許さぬし。
深色の髪や野性味あふるるお顔のおとがいは、
辺りの夜陰へその輪郭を溶かし込んでおり。
冴えた眼光の存在感のみ いや増して、
それはさながら、
獰猛な猛禽か 剛い牙持つ獣の畏怖にも程近く。
「 っ、あ。」
重厚な視線に見据えられていることへのみ、
こちらからも気を取られていた、そんな隙をついたのか。
ぐいと掻い込まれての、堅い胸板へと抱きすくめられた。
そも、体格に大きく差がある二人で、
その膝元へと既に寄り添うていたキュウゾウ、
カンベエの尋深い懐ろからはどうにも逃れられやせぬ。
立ち上がる所作の中、何の深慮もなさげなままに、
ひょいと軽々抱えられ。
そんな扱いへはさすがに、無礼者めと抗いかかったものの、
「そう怒るな、寵印をやる。」
「〜〜〜っ。//////」
こちらの髪へとくぐらせた微熱は、甘い吐息か睦声か。
そのまま、慣れた手際でおとがいの下へともぐり込んで来たお顔へ、
あっと思ってももう遅く。
ちりと吸われてしまった喉には、きっと紅の跡がある。
口惜しい口惜しいと歯咬みするのも このいっときだけで。
ぱさりと無造作に降ろされて、
すかさず その雄々しい身で縫い止められたは、
真綿を敷いた閨のうち。
不敵に笑ってこちらを見下ろす主上のお顔が、
だが、降り落ちる鋼色の髪でおおわれて、
見えなくなってしまうのが、
どうしてだろか、何とも切なく。
「……。」
ついと延べた手で、
肩からこぼれた くせのある髪、
下から掬い上げて差し上げれば。
もう甘やかしはせぬぞと言わんばかりの、
少々挑発的なお顔だったはずが。
目許をたわめた優しいお顔、だったので。
「………ずるい。//////」
「何がだ。」
勝手を言うなと、くつくつ笑い、
そのお声の響きがまた、
低くて甘くて、渋くって男臭くて。
姫の頬へと朱を上らせてしまっており。
そおと合わさる口唇の甘さも、
髪を梳く指の武骨さも。
いかにも精悍な男のまとう危険な香りも、
総身をくるむ堅い肉惑も。
いつまでも怖いけど、
安堵も誘うのが不思議。
間近になってののしかかる重さが、
なのに苦しくはなくの、むしろ安らげるのは、
覇王の全部を独り占めしている、
仄かな優越感のせいかなぁ。
相反する色んな想いに、
まだ時折は戸惑いを抱えつつ。
ああそれでも、今の自分は、
この男のことが好きみたいだと。
そんな風に朧げながら実感したのは、
大好きな頼もしい腕に、
力強く抱きすくめられたからだった…。
〜Fine〜 12.06.24.
*タイトルの“繋臂之寵”というのは、
中国の晋の武帝が、
特に気に入りの妃の腕(肘)に赤い薄絹を結んで、
それはそれは愛でていたという故事から生まれた言葉だそうで。
運命の赤い糸ならぬ、
お気に入りへの赤い布。(目印か?)
気に入りの…ということは、言わずもがな、
他に何人も何人も寵妃を抱えていたということですよね。
イスラム系のハレムといい、
日本の平安時代の後宮や、徳川家の大奥といい、
どこの国でも男という生き物は、
まったくもって もうもうもう…とついつい思ってしまいます。
いや、昔は子供の死亡率が高かったとか、
本当に王様のご落胤かどうか怪しい子供が現れぬよう、
混乱を防ぐためとか、
真っ当な理由もあるのでしょうけれど。
権力をかざされて泣かされた女性が、
間違いなく たんと居たんでしょうからね。
めーるふぉーむvv


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